1989年の1月7日、時の官房長官が、記者たちの前でさっき決まった次の元号が書かれた紙を掲げて発表した。「新しい元号は、『平成』であります。」その発表はテレビ中継を介して瞬時に国民の目に届いた。当時僕はまだ生まれていなかったので、リアルタイムでこの放送を見ていないが、そんな僕でもそのシーンはテレビやネットで何度か見たことがある。繰り返しこの放送が人々の目に触れるのは、これが平成の始まりを端的に物語っている1シーンであるからに違いない。僕も大変に平成らしい幕開けだなあと思っている。テレビ放送で元号が発表され、それまでの時代が一気に過去になっていく感覚というのは、とてもこの時代らしい。
それから30年余り経った現在、平成は終わりを迎えようとしている。その間に世界は大きく変化した。平成の幕開けすぐに世界を2つに分けた冷戦が終結したし、またすぐ別の戦争が始まったりした。大きな地震もあった。日本は大不況になったし、そのままずっと最後まで景気はあまりよくならなかった。挙げればきりがないほどの事件や変化が平成にはあったと思うけれど、それを一つ一つ思い返すのここではやめておく。そういうことはもっと巨大なメディアツールが担ってくれるのだろうし。ただひとつ大きな変化を挙げるとすれば、平成時代では、情報伝達の手段がそれまでの世の中と著しく変わった。
ネットワーク社会は高度な発展を遂げた。妙な方向に成長したとも言える。アメリカではこのネット社会の発達とともに大人となった世代をミレニアル世代と言ったりしている。大概、こうした、なんとか世代と口にするときは、分類して分け隔てたいときに使うものかもしれない。団塊世代、ゆとり世代など日本でもよく言うが、大体は「自分とは考え方や意思疎通の在り方が違う」などと思うときに口する。確かにこの時代には人々のコミュニケーションの在り方が大きく変わった。僕もそう思う。多くの人にとって必須のツールとなっているSNS、例えばLINEやTwitterやFacebookなど、これらはコミュニケーションの手段として高度に洗練されたサービスだと思う。これらは感覚的な操作性が非常に優れている。気に入ったものはいいね、気に入らないものはブロック、左右のスワイプやボタンのプッシュで簡単に気持ちを表せる。ただ、僕はこのネット文化が次の時代も10年、20年と同じようにあるとは思えない。ケータイ電話が普及した当初、誰も今後「メール」というツールが人とのやり取りの主流になるとは思わなかったし、メールが普及した時も、だれもその機能が「LINE」などに取って代わるとは思っていなかっただろう。(この変遷はすべてが平成に起こったことだ)昭和の初めの人にとってみれば、電話すら普及するとは思われていなかったかもしれない。現代の情報伝達手段も、次の時代にはすぐに過去のものになってしまう気がする。
こうしたネットコミュニケーション文化の発達したこの時代では記録の在り方も大きく変わった。SNSはそれ自体が記録を残していく機能を有していない。「タイムライン」に乗って、古くなった言葉はどんどん後ろに追いやられていくし、ツール自体が気に入らなくなったらアカウントと一緒に全部削除してしまう。それは即座的なコミュニケーションを前提にしているから、当たり前でもあるが。とにかくすごい速さで言葉が流れている。その中には小石や砂利も多分に含まれるが、中には、すくってとって眺められる素敵なものも混じっていると思う。ただ眺めているだけであるなら、今生きる人々の息づかいや言葉の端々に現れる時代性は、数十年後には跡形もなく消えてしまうのかもしれない。今までの時代とはそこが大きく異なってきたように感じる。例えば、戦前の文豪が書いた手紙が100年余りの時間旅行を経て博物館に展示され、僕らに物事を伝えてくる。あるいは200年前の絵画が、1000年前の壁画が、その当時の風景や出来事を物語る。今までのことは、そうやって後世に伝わてきた。
一方で歴史の中にはそういう文化的な遺物が極めて希薄な時代もある。それは戦争で壊された場合や、時の権力者の命令で遺産が壊されたものや、あるいは文化を残す術がなかったという場合もあるかもしれない。もう一方では文化の伝承をとても大事にした時代もある。形に残さなくても、毎年盛大なセレモニーを開き、それが現代にまで残っているという文化もある。人々の口頭のみで伝わる物語などもあるだろう。立ち返って僕らの生きた平成時代はどうなっているだろうか。今後何十年、何百年後に何かが残る時代だっただろうか。高度な科学技術を駆使して、現在重大と思われるものは今までにないくらいしっかり保管されているのかもしれない。しかし僕らの日常風景はやがて消え行ってしまうような気がする。確たることは言えないが、なくなっていく物事や人をいつくしむような行為から人々が離れていったのは、ここ数十年で一気に加速したような気がする。
僕らはこの時代の袂にあって、様々な思いを抱き、漫然とつぶやいたりする。昨日撮った夕食の写真や、友達との些細な会話を記したつぶやき、仕事のぼやき、そうしたことをSNS上にアップしたりする。そういう雰囲気を、流れるままになきものにするのではなく、どうにか多くの人たちと共有して、それを記憶の中に残せていけたらと思った。ついては今この平成の終わりのありふれた風景を、少しずつ切りとってこのホームぺージに貼っていこうと思う。より多くの人たちとこの平成の終わりの情景を共有できたら幸せに思う。
※このサイトの記事の編集は文章作成者(私)と写真撮影者(僕)の2名によって記事作成を行っている。(ただし序文のみ撮影者担当)
※記事は令和元年の初月にあたる5月から、毎月その1年前の記録を掲載していく予定。
※撮影に当たっては、フィルムカメラを主に使用する。より長く平成の記録を留めておくため、手元にも現像写真として残しておきたいと思う。撮影に関しては素人なので写真の写りなど技術的な面に関してはご多少見苦しいところがあることをご容赦いただきたい。
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