「天皇陛下『生前退位』の意向示される」と平成28年(2016年)7月13日午後7時のニュースでNHKが第一報を流した時、それを見た視聴者は一体何を感じたのだろうか。私はその日の夜にインターネットニュースを見てこのニュースを知った瞬間、言葉では言い表せないほどの寂しさを感じた。退位の時期や方法はまだ決まっておらず、そもそも現行法において生前退位が可能であるかも不明だったが、インターネット上では新元号予想まで行われていることを知り、平成時代の終わりを早くも意識してしまった。平成29年(2017年)6月9日には退位に関する特例法が成立し、同年12月8日の閣議で天皇陛下の退位日を平成31年(2019年)4月30日と定める政令が決定すると、平成の終わりによって私の人生が一区切りついてしまうような気分になり、寂しい思いを募らせていった。普段は元号のことなど全く意識せず、たまに西暦に変換する時には面倒だと思うこともあるくらいだが、平成という元号が消えてしまうことを知った途端に愛着が湧き始めるとは現金なものである。しかし、昭和から平成への移行期においても、昭和時代の終わりを惜しむ人々は相当多かったのではないだろうか。昭和の終息は天皇の崩御によるため、当時の人々はゆっくりと感傷に浸る時間が足りず、平成時代に移行してからも昭和時代を追憶していたのではと想像する。一方、平成が終わる時期は一年以上前から公表されたため、私たちは平成の最後を惜しみながら長い時間をかけて回想することができた。この回顧した内容を土台にして平成末期の現在日本を記録し、数十年後に振り返るのはどうだろう。さらに、その記録を自分の頭の中だけに留めずインターネット上に公開して、私たち以外の様々な世代の人たちも平成時代を懐古できるようにしたら、もっと面白いかもしれない。
そんな気軽な思いで始めた本記録では、平成時代に発生した悲惨な事故や自然災害、社会に重大な影響を与えた出来事などを振り返るような手法は取らないことをまず決めた。平成時代を俯瞰した「平成史」はテレビや書籍など他のメディアに譲り、本記録では平成時代終盤における市井の人々と日本社会の様子に焦点を当てることを第一義とした。この原則を踏まえて、現代人が生きるありふれた日常風景に目を向けながら観光地、小売業、夕涼みなど月ごとに定めたテーマに沿って東京の様々な街を記録していった。
平成から令和へと移行してから早くも1年が経過して、本記録も12のテーマによる記事を掲載することができた。どのテーマにおいても改元によって社会全体が大きく変化した訳ではないため、今はまだ懐かしいとは感じられない内容だが、この感情は時間が経つにつれて肥大化していくはずだ。その一方で、令和時代がまだ1年しか経過せずとも変わりつつある風景も存在する。例えば12月のテーマである「衣服」では、平成30年(2018年)12月時点の記録であるため、マスクを着けている人の姿は少数であり特段記録しなかった。しかし、現在の新型コロナウイルス感染症の拡大さなかにおいては、マスクを着けていない人が奇異の目で見られるほど街中にマスク姿の人々が目立つようになった。これは一例であるが、わずか1年前であっても、本記録を見返しながら現在と比較すると懐かしい気持ちになる事柄が他にもあるだろう。懐古的な心情になる部分は十人十色だと思うが、多くの人々が本記録を見て平成の終わりにそれぞれの思いをはせてもらえれば幸いである。
末筆であるが、本記録の制作は平成初期に生まれ、平成時代の中にどっぷり浸かって生きてきた20代のしがない2人組によるものである。文章、写真とも拙劣であることは否定しないが、平成時代の特筆すべき出来事を総括することはあえて避けて、どこにでも存在する現代人の日常生活に脚光を浴びせたことは、目新しいという点で意義があったのではないだろうか。平成の終わりを新しい切り口から記録することで、各種メディアによる「平成史」のような制作物とは一線を画した素人視点の記録集となったため、多少の稚拙さには目をつぶっていただきたい。
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