平成最後の7月(夕涼み)

 今年は6月6日に梅雨入りをしたが、ひと月もたっていない6月29日に関東甲信地方の梅雨明けが発表されて、平成最後の夏が本格的に始まった。7月に入ってから、豪雨や連日の猛暑などの自然災害が日本列島を襲っており、数年経った後も平成最後の夏はいつもと違う夏だったこと思い出すのだろう。過酷な猛暑が続く今月は、この厳しい暑さがわずかでも和らぐような夕涼みに着目してみた。

 平成時代において多くの人々が楽しむ夕涼みの代表格といえば、花火大会ではないだろうか。花火がいつ、どこで使われ始めたか定かではないが、江戸時代には隅田川で花火が見られていたそうで、当時の浮世絵にも花火が描かれている。江戸時代から夏の夜の風物詩であった花火は、平成の世になってからも沢山の人を魅了し続け、毎年7月の最終土曜日に開催される隅田川花火大会は100万人近くの人出だそうだ。数百年前から不思議な魅力で日本人を惹きつけている花火と、それを見ながら夏の夜を楽しんでいる人々を記録しておきたいと感じて、私たちは7月21日に開催された「足立の花火」を見るために北千住へ行った。

花火大会に向かう人でにぎわう北千住駅前。

多くの警備員たちが混雑に備えて打ち合わせをしている姿を見つけた。

 花火開始の30分前である午後7時ころに北千住駅に到着した瞬間、西口の「ペデストリアンデッキ」1に身動きが取れないほど人が集まっている様相を見て、私たちはうんざりしてしまった。都内各地で毎週のように花火大会が開催されているにもかかわらず、なぜこれほど人が集まって来るのだろうか。駅前の光景を見た時は早くも帰りたい気持ちになったが、駅と打ち上げ会場を結ぶ宿場通り商店街のにぎわいを見て、だんだんと気分が華やいできた。この商店街には飲食店や衣料品店などの個人商店が数多くあり、花火大会に合わせて屋台を出していた。酒屋は飲料、肉屋は焼鳥、和菓子屋は団子などを販売しており、商店街全体で花火大会を盛り上げている昔ながらの雰囲気が心地よい。私たちは酒屋で生ビールを買って、ちびちび飲みながら会場方向へ向かったが、とても冷えていて美味しく、祭りのビールとは思えない良心的な価格だった。会場である荒川方面へ進んでいくと、途中の見晴らしが良い場所で家族やカップルが立ち止まっていた。どうして先に進まないのか疑問に思っていたが、数分歩いただけですぐに謎が解けた。彼らは、荒川までたどり着けないほど混雑しているので、諦めて戻って来たのだ。荒川の土手に入る手前の国道4号線付近は黒山の人だかりで、なかなか前に進めない。人員整理のための警察官が怒声を上げて立ち入り禁止区域の説明をしているが、数人が警告を無視して立ち入ってゆくと、後ろの人たちも津波が押し寄せるように続々とカラーコーンを飛び越えて立ち入っていった。国道4号線の下には土手へと続く上り坂があり、ここも人が多すぎて一向に進む気配がない。私たちの後ろにいた大学生くらいの若者たちがしびれを切らして、木々の間を無理やり通る抜け道を使い始めたため、どんどん抜かされていった。土手の手前辺りで足止めされていると、1発目の花火が打ちあがった。途端に周囲から歓声が上がるが、私たちが今いる場所からでは欠けた花火しか見えない。それでも気持ちが高ぶり、夏を感じ始めるのだから花火とは不思議なものだ。私はこれで十分花火を楽しめたので帰ろうかと提案したが、撮影者の彼がもちろん許さなかったので、長蛇の列を耐えてようやく土手の上までやってくることができた。ここなら花火がよく見えるが、あまりの混雑のため立ち止まってのんびり観賞することは許可されなかった。土手の上を担当している警察官は疲れた顔で「後ろの人が進めませんので、立ち止まらないでください」とまるで子どもに話しかけるように丁寧に何度も観客に諭していた。私たちも数枚の写真を撮影しただけで退散してしまったが、老若男女問わずたくさんの人が猛暑と混雑の中でも花火を見にやって来るほど魅力があることを再認識した。さらに、現在では暑さと人混みを避けて上空から花火を楽しむ裏技まで出現した。20分ほどの遊覧飛行で10万円以上かかるそうだが、この日も荒川上空には数機のヘリコプターが飛び回っていた。今日では花火大会に人が集まりすぎて優雅に夕涼みなどできなくなってしまったが、混雑問題を金銭であっさり解決できるのは経済格差が広がりつつある現代日本らしいと思った。

土手は大勢の人でごった返していた。手を上に掲げている人はスマートフォンで写真を撮ろうとしているのだろう。

道の途中でも花火が上がると、みんな足を止めて空を見上げた。警備員はすかさず前へ進むよう促している。

私服で気軽に見学する人や浴衣に着替えてくる人など、みんな思い思いに花火大会を楽しんでいるようだ。

個人商店が屋台を出して商品を売っている。普段のお祭りでは500~600円するビールが350円だった。

 この時代において、ひとときでも酷暑を忘れられる方法は花火観賞だけではない。例えば六本木の東京ミッドタウンでは、かすみ(ミスト)や光の演出で日本の涼を感じられる「光と霧のデジタルアート庭園」を夏季限定で開催している。この庭園は小・中学校にあった長方形の25メートルプールの形状に似ていて、水の代わりにかすみが渦巻くプールの中に足を入れて、ひんやり涼しい心地よさを感じることができる。プールサイドに座りながらかすみに包まれた足をバタバタさせていると、余熱が残る夏の夕方にかすかな風に吹かれながら、縁側から庭を眺めてくつろいでいるかのような錯覚に陥った。庭の中には石がふぞろいに置かれていて、石の周りには光を用いたデジタル花火が舞っている。先ほど見た「足立の花火」とは比べ物にならないほど小さい花火だが、かすみの中から出現する光の花火が物珍しくて、眺め入ってしまった。騒がしい都会のまっただ中である六本木なのに、こちらの花火はのんびりと座って観賞できるのがありがたい。静かな音楽も流れていて、大人のデートにぴったりの場所である。記録のため致し方ないが男2人で遊びにくるような場所ではなく、カップルだらけの周囲からは明らかに浮いていたので、それを敏感に察知した私たちは、「次はお前ではなく、女の子と一緒に来るからな」と互いをののしり合って醜態を晒していた。庭園から少々歩いた場所にはせせらぎに足を浸して涼を楽しむ「ASHIMIZU」があった。開催時間後の夜分遅くだったため足を冷やすことはできなかったが、近くのベンチに座ってせせらぎを眺めているだけでも火照った体から少しだけ汗が引いた。この場所には人がまばらで、落ち着いて涼むことができた。

ASHIMIZUのスペースでは和やかな音楽が漂うように流れていた。

六本木で見たものは、どれも美しく幻想的だった。

野外でお酒を飲めるビアガーデンも併設されていた。

建物の中にも展示物があった。風鈴を意識したアート。

 きっと、こういった場所に来てわざわざ夕涼みをしなくても冷房が効いた自宅や飲食店で涼む人も多いだろう。昭和63年(1988年)7月の最高気温を調べてみると35度以上の猛暑日は1日もなく、この30年間でいかに気温が上昇したかがよく分かる。生命の危機を感じるほどの酷暑が襲うこの時代、人々は快適な空間を得て、その中に閉じこもっているのかもしれない。だが猛暑日が続くにつれ、避暑への新鮮さを求めた人たちが東京ミッドタウンなどの夕涼みイベントに来たのではないだろうか。テレビの報道によると来年以降も夏の気温は上がり続けるそうなので、野外で水やかすみを用いて避暑できるイベントは日本各地で増えていくかもしれない。昨年に世間をにぎわせた「ナイトプール」2などがその先駆けなのではと考える。

 その一方で、大混雑になることが分かっているのに沢山の人々が見に来る花火大会の客たちは、そうした新鮮さを求めているわけではない気がする。彼らは夕涼みをしに来ているのではなく、家族や友人、恋人と一緒に花火を観賞して暑い夏をあえて体感したいからではないだろうか。雑踏にもまれることなど百も承知で花火を見に来る人たちの目的は夕涼みではなく、誰かと共に夏らしさを体験したいからだと思われる。人が集まりすぎて、のんびりと夕涼みができない花火大会でも、今なお多くの人々を魅了していることを改めて考えると、花火とは不可解な存在である。撮影を行ったこの日の夜も熱帯夜だったので、汗でベトベトの体で地下鉄に乗ったが、花火大会や庭園で少しだけ感じた夏らしさを思い出すと、不思議と不快感が和らいだ。平成最後の夏の厳しい暑さを乗り切るヒントは冷房が効きすぎた涼しい屋内ではなく、むしろ発想を転換させた屋外にあるのかもしれない。

お祭りは平成の終わりにおいても多くの人を引き付ける魅力を持っている。

六本木の路上では高級そうな車が行き交っていた。街ごとのこうした特色はこれからも受け継がれていくのだろうか。

 

脚注

  1. 歩行者と自動車を立体的に分離するために造られた高架建造物のこと。都市部の鉄道駅前の敷地を有効に使うことできるが、多くのペデストリアンデッキは完成してから30年以上が経過して老朽化問題が生じている。
  2. 日没後も営業しているプールのことで、ライトアップやイベントが行われている。ここでは泳ぐ人よりも自分の写真を撮ってSNSに投稿する人が大多数。平成29年(2017年)には、若い女性たちの間でインスタグラムへの投稿が大流行し、インスタ映えという言葉が生まれた。

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