平成最後の12月(服装)

 12月になると百貨店ではクリスマス用の贈り物が並ぶクリスマス商戦が始まり、イルミネーションが輝くロマンチックなデートスポットにはカップルがたくさん現れるのが毎年恒例の光景だ。しかし今年が例年と異なったのは「平成最後の」という言葉を街で幾度となく見かけたことだ。平成最後の年越し、紅白歌合戦、年末ジャンボ宝くじなど、何でも「平成最後」とすることで、日本全体が平成の終息への名残を惜しんでいるようだ。私たちが本企画を開始した5月ころは、「平成最後」という文字を見聞きすることはあまりなく、多くの人々にとって平成末期であることを深く感じていないようだったが、近頃は徐々に最後をしのぶ人が増えてきたことを実感する。「平成最後」が随所に見られる今月は、この時代の人々の着る服装に注目してみた。テレビでたまに見かける平成初期の映像では、ルーズソックスを履く女子高生や長髪でサングラスをかけたトレンディドラマ風ファッションの男性が登場するが、平成最後の今ではそういったファッションは時代遅れだと感じるのは私だけではないだろう。だが、ルーズソックスもトレンディドラマ風ファッションも当時は最新鋭の流行であり、非常に人気を博していたのである。私たちが現在着ている服も数十年後の新時代の人々が見たときには「あの頃はこんな恥ずかしい格好をしていたのか」と笑うかもしれない。社会現象やその時々の流行を反映するファッションというものは、変化のスピードが速く、数年後にはまるで違った服装が流行っているかもしれない。だからこそ、平成が終わりかけている今のファッション事情を記録に残しておくことは重要であると私たちは考えた。

年の瀬の原宿駅前の風景。

着物を着て人力車に乗り、浅草を観光する海外からの旅行者たち。

 今回は年の瀬迫る大みそかに取材を行った。私たちがまず訪れたのは「おばあちゃんの原宿」と呼ばれる巣鴨だ。普段は訪れる機会が少ない街だが、高齢者の服装を観察するため数年ぶりに降り立った。駅を出て「巣鴨地蔵通り商店街」に足を踏み入れると、期待に違わず見渡す限り高齢者と中年の男女たちが街を歩いていた。中高年の人々は若者と比べて病気への予防意識が高いからか、ほとんどの人が厚着のモコモコとした服装だ。彼らの多くは黒や紺のダウンジャケットを着て、正月用品の買い物をしている。ダウンジャケットも、その下からのぞいているセーターも、全国の衣料量販店でよく見るデザインだ。人は一定の年齢を超えるとデザイン性より機能性の高さを重視するのだろうか。街中で画一的なダウンジャケットを着ている姿はあまり見栄えが良くない。しかし、年を取るとおしゃれな服を着なくなるという考えは少々乱暴かもしれない。この商店街にいくつかある婦人衣料品店の品ぞろえは黒、グレー、紫など彩度の低い色合いの服が多いが、中には薄いピンクや赤い花柄、さらに極彩色の服も売られていて、こういった派手な色合いの服も一定の需要があるのだろう。確かにこういった目立つ色の服を着ているおばあちゃんをこれまでにも見たこともある。若者のおしゃれとは志向もデザインが異なるが、いくつ年をとってもファッションに敏感な人は一定数存在するのだろう。

巣鴨駅前では和服を着る人の姿も見られた。

巣鴨の街中の人はみな同系統の服装をしているように見えた。

さまざまな色彩や形状の帽子が売られている。昭和・大正時代の写真で見かけたデザインもある気がする。

巣鴨の通りには普段の買い物をしに来たと見られる格好の人も多かった。

 次に訪れたのは観光客でごった返す浅草だ。大みそかだというのに雷門の前には、たくさんの老若男女が写真を撮っていて、いつもの休日と変わらない情景だ。巣鴨よりも若者の比率がずっと高く、デザインもバリエーション豊かな服が見られる。特に若い女性は流行しているロング丈のトレンチコートを着ていたり、寒いのにパンツではなくスカートを履いていたりとおしゃれを楽しんでいるようだ。また、色合い豊かな着物を着ている若いカップルや外国人にも目を引く。ここ数年は京都、鎌倉、金沢、浅草など古い街並みが残る観光地では、女性グループやカップルが着物をその場でレンタルして、着ながら観光する姿が見られるようになった。着物を着て歴史ある街を散策することは、自分自身の気分が盛り上がるだけでなく、非日常的な体験をしている写真をSNSで周囲に発信できることも魅力の一つなのかもしれない。銀座線浅草駅を出て、雷門へ通じる「新仲見世通り」にも着物のレンタルショップが複数店営業していて、ヘアセットや荷物預かりなどさまざまなオプションも用意している。雷門をくぐって「仲見世通り」に入ると大混雑で中々進めない。年配の人たちはここでも暗めの色のダウンジャケット姿をよく見るが、それより下の世代の服装は十人十色で通り全体が鮮やかだった。多彩な人混みの中でも外国人のファッションは少し特徴的で目を奪われる。彼らは黒いマスクやサングラスを付けているなど、日本人のファッション感覚とは少々異なる。新しい時代を迎えて、今以上にたくさんの外国人が浅草に訪れたら、仲見世通りはさらに色とりどりの様相となっているかもしれない。

着物を着てスマートフォンで互いの写真を撮り合う女性も何組かいた。

着物のレンタルショップを通りがかった人も物珍しそうに見学している。

 浅草の次は、平成30年の間に大きく変貌を遂げた秋葉原だ。平成14年(2002年)ころに私が父と初めて秋葉原に訪れた時は、駅を出て目の前に「ラジオ会館」がそびえ立ち、電気街には無線やパソコンのパーツショップとフィギュアショップが混交する街だった。普段は目にしたことがなかった電子パーツや精巧な美少女フィギュアを扱う店が密集していて、少しだけ大人の世界に入り込んだ気持ちになってドキドキした。平成17年(2005年)ころにはメイド喫茶がメディアで広く取り上げられ、街全体でメイドが客引きするオタク文化の街へ変わっていった。やがてオタク文化が大衆化してアニメやゲーム産業が発達すると日本のポップカルチャーに関心を持つ外国人も訪れるようになった。現在は多様なショップが混在する複合ビルが建ち並び、訪れる人もさまざまな街である。大みそかの昼下がりは男性が多めで、観光より買い物目的で来ているようだった。彼らの大半は黒やグレーなど暗い色のコートを身にまとっているが、コートの種類はダウンジャケット、ダッフルコート、チェスターコート、ウインドブレーカーと着ている人によってかなり異なっていた。背中にはリュックサックか斜め掛けバッグを背負っている男性ばかりだが、中にはストールを巻いておしゃれをしている人も見つけた。秋葉原で特徴的だったのは彼らの耳元のイヤホンだ。通りを一人で歩く人はほとんどがイヤホンかヘッドホンを付けている。ここ数年は特にBluetooth接続のワイヤレスイヤホンが人気で、Apple社の「Air Pods」を愛用している人を短時間に何人も見かけた。ワイヤレスイヤホンを付けている人は電気街のある秋葉原のみならず、日本中で見られる景色であり、今後しばらくは一人歩きをする人々が重宝するアイテムとなるだろう。

駅前の信号を渡ろうとする人々。バッグを背負っている人は、買い物をしに来た人が多いのだろう。

20代くらいの男性を秋葉原では多く見かける。若者のファッションはこの街でも多種多様だ。

秋葉原では平成の間にメイドファッションが生まれた。メイド服の店員やメイド喫茶の看板があふれている。

男性が耳に着けている最新の音楽再生機器はスタイリッシュな形状で、こうした機器も今やファッションの一部となった。

 今年最後に訪れたのは最新ファッションの聖地である原宿だ。原宿は古くから時代の最先端ファッション・アパレルを発信する場として、おしゃれ好きな若者が数多くやって来る街である。原宿駅を出てすぐの「竹下通り」は常に若者たちで大混雑していて、通り抜けるのにも一苦労する。大みそかだというのに、原宿は大勢の若い女の子たちやカップルたちが気の向くままに歩いていて、普段の原宿の姿と全く変わらない。全体的に若者ばかりいる街だからか、本日訪れたどの街よりも服装の色合いが鮮やかだ。女性たちのコートは白、ベージュ、ピンク、ワインレッドなど明るい色が多く、華やかな印象を受けた。巣鴨や秋葉原でこの格好なら遠くからでもよく目立つだろうが、ここ原宿では派手なファッションの人があまりにも多いせいで逆に埋もれがちである。彼女たちは化粧も濃いめで、口元の赤い口紅がよく映えていた。竹下通りを歩いていると、ウサギの耳のカチューシャを付けている女性二人組とすれ違ったが、斬新なファッションセンスとこの街の雰囲気が妙に調和していて面白い。どんなファッションでも奇異な目で見られずに許される街は日本中で原宿だけかもしれない。この通りでは中世ヨーロッパ風の女性用ドレスを扱うコスプレショップも発見した。このお店のドレスを着ている女性には残念ながら遭遇できなかったが、需要があるからこそビジネスとして成り立っているのだろう。一方、男性は女性と比べてありふれた服装の人が主流だったが、茶色やベージュといった明るい色のコートを着ている人が他の街より明らかに多く、おしゃれな男性が多いと感じた。マフラー、ストール、ニット帽など上着以外の小物を上手に着こなせる人が際立っていたのも原宿の特徴かもしれない。

竹下通りは誰がどんな服を着ているか確認できないほどにぎわっている。

路地にある衣料品店では、明るく目立つ色やデザインの服が多く飾られている。

おしゃれな格好をしてウインドウショッイングを目的に原宿にやってくる若者も多い。

一方で、原宿のファストファッションブランドのマネキンも、街中でよく見るなじみの姿だ。

 平成初期である1990年代は、前掲のルーズソックスやトレンディドラマ風ファッションの他にも、渋谷で火が付いて都内の高校生の間で急速にブームとなったアメリカンカジュアル風ファッション「渋カジ」やミニスカートや厚底サンダルが特徴の安室奈美恵を模倣するファッション「アムラー」など、当時の流行は○○系ファッションと括ることができた。しかし、平成中期以降は、誰もが一度は憧れた最新ファッションよりも、人々がそれぞれの関心に応じた服を着こなすようになり、ファッションが以前より細分化されたように感じる。こういった変化は「ユニクロ」など格安衣料品店が発達したことと、アパレルブランドのオンラインショップが普及したことも要因かもしれない。ユニクロのような安価で高品質の服を扱うブランドが出現したことで、ファッションにそれほど興味がない層は流行を追って高価なこだわりのある服を着る必要がなくなった。さらに、オンラインショップの普及によって、無数の服の中から人々は気に入ったものを探して簡単に購入できるようになった。店に行かなくてもインターネットで簡単に情報収集できることで、自分の求めるブランドやデザインを素早く知ることができたり、自分に似合う着こなし方なのかどうか、ウェブ上で購入前に気になる服を組み合わせて仮想試着ができたりする。こういった現代の風潮は街中にある衣料販売店の存り方にも影響を与えているのかもしれない。今回の取材で見たように、ユニクロなどとは店舗規模が異なる小型衣料販売店では店ごとのカラーを出すことで、世代や属性などで細分化された人々の嗜好に応えられるよう経営しているのだろう。そこに訪れる人が求めているのは、着るための服を買うことよりも、自分の趣味嗜好に合う服を探して自己表現することである。着物のレンタルショップが街中に出現した背景には、そういった欲求があるのかもしれない。

 このように平成30年間でファッション環境がだんだん変化して、人々は「みんなが着ている流行の服」よりも「自分に合った服」を好んで着るようになったのではないか。年齢や性別によらずにみんなが同じデザインの服を着るような大流行は新元号になって発生するのだろうか。あと数時間で新年を迎える慌ただしい都内から電車に乗って実家へ帰っている時、新時代に流行りそうな架空の服を空想しながら帰省した。

次の時代にも伝統的な服は生き残り続けるだろうが、その流通の仕方は徐々に変わっていくのかもしれない。

ショールームのように立ち並ぶ表参道の高級ブランドショップなども、今後どのような服を展開するのだろうか。

 

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