6月6日に気象庁より関東甲信地方の梅雨入りが発表されて、平成最後の6月が始まったのだと実感が湧いてきた。風薫る中、東京タワーと東京スカイツリーの撮影した先月とは打って変わり、曇天続きの今月は、この時代の小売業の多様な業態に注目して、小雨が降る6月10日に撮影を行った。
平成30年の短い期間にもかかわらず、この時代における小売業は世界をつなぐインターネットの普及により劇的に変化した。販売店へ行かずに自宅で買い物ができるインターネットショッピングの台頭により、小売店の収益は著しく低下したのではないだろうか。超高齢社会である日本では特に、購入から運搬まで全てを対応してくれるインターネットショッピングの需要が今後も高まり続けるだろう。それと同時に、生き残り競争の中で今あるような小売店が新時代において消滅してしまうかもしれない。今後の動向が全く予測できない小売業界の現在の姿を記録するために、大型百貨店と家電量販店へ訪れた。また、小売店が多く集まっている街の雰囲気も観察したいと思い、アーケードが有名な品川区の武蔵小山商店街と東京三大銀座の一つである品川区の戸越銀座商店街へも足を運んだ。
大型百貨店のことを考えたとき、私たちが真っ先に思いついた街は銀座だった。銀座には松屋、ルミネ、阪急MEN’S TOKYOなど数多くのデパートが集結しているが、私たちは銀座の中心に位置する銀座三越を選んだ。銀座三越は銀座四丁目の交差点に建つ老舗百貨店であり、銀座の象徴である和光本館の時計塔が向かいにそびえ立っている。三越に入った瞬間、まず目を引いたのは天井から垂れ下がった父の日とお中元の広告だ。特に、紳士服売り場の5階と食品売り場の地下2階では大々的にアピールしており、催事やイベントの発信に力を込めている百貨店らしさを感じた。また、9階には天井が高くて開放的なカフェと、芝生が広がる「銀座テラス」があり、銀座の老舗デパートに似合わず、のんびりした時間が流れていた。デパートの中にこれほど開け広げられたカフェがあるのは意外に感じたが、昨今のおしゃれなカフェへの人気を鑑みて、三越でも導入したのは当然の流れなのかもしれない。「銀座の地上31メートルに現れた憩いの空間」とうたう「銀座テラス」には屋上農園があり、銀座産の野菜を育てている。この「銀座テラス」は平成22年(2010年)にリニューアルオープンしたが、デパートの屋上に芝生や農園を作る発想は当時珍しかったのではないだろうか。右肩下がりが続く百貨店業界だが、銀座三越では先進的な取り組みに力を入れており、顧客の期待に応える経営戦略が功を奏して、新時代においても生き残ることができるかもしれない。
銀座三越の次は家電大型専門店を代表してビックカメラ有楽町店へ向かった。ビックカメラ有楽町店は平成13年(2001年)に「そごう東京店(通称 有楽町そごう)」が撤退した跡地にオープンした。「老舗の百貨店が凋落し、家電量販店が超一等地の有楽町へ出店、台頭した一例」として当時のマスコミは大きく報じたそうだ。ビックカメラ有楽町店以外にも、平成17年(2005年)閉店の三越横浜店(跡地はヨドバシカメラ)や平成21年(2009年)閉店の三越池袋店(跡地はヤマダ電機)など、21世紀に入ってデパートが閉鎖し、その跡地に家電量販店が出店する例はいくつも存在する。 百貨店にとって代わった家電量販店はこれから先も生存し続けられるだろうか。私たちが撮影のために赴いた6月10日は小雨だったが、その割には買い物客がいたというのが正直な感想である。中でも4階のおもちゃコーナーにはレゴブロックを物色する家族連れが、地下2階のカメラコーナーには熱心に店員へ質問をしている中年の男性客が目立っていた。このカメラコーナーでは写真撮影の講習会が開催されていて、梅雨時らしからぬ熱気に包まれていた。数年前に話題となった外国人の爆買い1もだいぶ下火となり、家電業界もまた厳しい戦いとなっているが、家電量販店においてセミナー教室等のイベントを催すことは、インターネットショッピングとの差別化を図ることができる効果的な販売戦略かもしれない。また、地下1階の家電コーナーでは最新の冷蔵庫と洗濯機を観察した。タッチパネルで扉が開閉する冷蔵庫や一人暮らし用の大きさなのにファミリー向けの乾燥機付きドラム式洗濯機があることに驚いて、買うつもりもないのに販売員に詳細を尋ねてしまった。平成末期時点の最新白物家電がどのくらいの性能なのかを記録しておき、数十年後の最新家電と対比したら面白いかもしれない。
ビックカメラ有楽町店の後は武蔵小山商店街と戸越銀座商店街にて撮影を行った。武蔵小山商店街は東京で最初にアーケードを設置したそうで、単一のアーケード商店街としては800メートルと日本一の長さを誇っている。ここに訪れた時も午前中と変わらず雨が降っていたが、アーケードのおかげか多くの人であふれていた。新元号2年(2020年)には駅前にタワーマンションが完成予定で、その予定地には「日本一、感じのいいタワマンへ。」というキャッチコピーが貼られていた。
武蔵小山駅は目黒駅から急行で2分という好立地であるため、住みやすい街として30代を中心に人口が増えているそうだが、タワーマンションが完成した暁には武蔵小杉のように住民が急激に増加して街の容量を超えてしまう気がする。また、現在の武蔵小山商店街は、この地で昔から商売をしている個人商店と新興のチェーン店が入り混じり、それぞれの特性を活かした商店街のように見えるが、新しい住人の流入によって販売価格や営業時間の長さなどの利便性に分が悪い個人商店側が敗北してしまう恐れがある。もしそうなれば、全国各地で見られる画一的な商店街に変わり果ててしまうだろう。他方、戸越銀座商店街はアーケードがなく、雨の日は買い物しにくいためか人はまばらだった。この商店街は、北区の十条銀座商店街と江東区の砂町銀座商店街とともにテレビや雑誌でよく紹介されている東京三大銀座の一角である。
商店街の本来の役割は武蔵小山のように地元の人々の生活用品全般を調達する場であるが、大量に卸して多様な商品を販売する大型スーパーマーケットの誕生により、多くの商店街はシャッター街と化した。その逆境の中でも活気がある三大銀座がメディアにたびたび注目されることで、買い物客の多くはその街の住民ではなく、物珍しさからやって来る外部の人々に変わり、これらの商店街がテーマパーク化していると私たちは推察した。地元の住人は、テーマパーク化した混み合う商店街より、少々離れていても格安な大型スーパーに魅力を感じたため地元客が流出して、雨の日には著しく客が少ないのではないだろうか。暗い観測を基調に記録してしまったが、希望を感じる光景にも遭遇することができた。それは、昔ながらの焼き鳥屋の奥で地元の男性客が楽しそうに酒を飲んでいる姿である。この商店街がテーマパークのように変わりつつあっても地元住民の憩いの場はきちんと残っているのである。メディアによる過熱報道が冷めた後も、古くから付き合いのある近隣住民はこの商店街にきっと通い続けるだろう。
今月、訪れた百貨店、家電量販店、そして二つの商店街はいずれも業態が異なるが、戦略的な経営ができないと、外に行かずとも買い物ができるインターネットショッピングを打倒できないという点は共通している。戦略的な経営とは、わざわざ店舗へ訪れるための誘引剤を作ることだと私たちは考える。百貨店ならば催事やイベント情報を巧みに発信することで顧客は季節感を得るために来店するだろう。家電量販店ならば製品に触れられるスペースを増やしたり、講習会を開いたりすることで集客力向上の手がかりになるかもしれない。また、商店街は単に地域の人々が買い物をする場ではなく、憩いの場という付加価値を提供することで将来さらに加速する高齢社会に対応できるかもしれない。こうしたインターネットショッピングとの差別化を図る各店舗の地道な努力が新しい時代でも生き残り続ける術となるだろう。平成末期の今、小売業界は激烈な生存競争の渦中にいて、それぞれが生存を賭けて試行錯誤をしている時を私たちは切り取った。
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