平成最後の10月(交通)

 9月中旬まで続いていた厳しい暑さも10月になるとだいぶ和らぎ、爽やかな秋風が吹くようになった。今月、世間を特ににぎわせた出来事は、6日で営業終了して83年の歴史に幕を下ろした築地市場と、ハロウィン直前の週末である28日に渋谷で勃発したハロウィン暴動だろう。築地市場は江戸時代の魚河岸から始まり、昭和10年(1935年)に築地にて開設された世界最大規模の中央卸売市場だ。全国各地から送られて来る新鮮な水産物を高鮮度で迅速に卸す必要があるため、輸送手段の発展が大きく影響している。 一方、渋谷のハロウィン暴動では、暴動化した若者たちが軽トラックを引っくり返したり、ラーメン屋の券売機に水を入れて故障させたりと被害が相次ぎ逮捕者も出た。このイベントは若者たちが非日常感を求めて、首都圏だけでなく愛知県や富山県など遠方からも来ていることが報道された。インターネットで検索してみると、中部地方発で渋谷行きのハロウィン仮装バスツアーの参加者募集ページも出てきた。たくさんの若者が遠く離れた地域から東京へやって来るのは、みんなが一体となって大騒ぎできることに魅了されるだけでなく、交通機関がきちんと整備されていて手軽に上京できることも要因の一つだろう。旅客機の定期運航開始や東名高速道路と東海道新幹線の開通によって日本の交通網が劇的に変化したのが昭和時代だったが、平成時代にはどのように発展したのだろうか。今月は乗り物に焦点を当てて、現代日本の交通インフラを記録したいと思う。

新幹線、在来線、バスとさまざまな交通機関のアクセス口となっている品川駅。

羽田空港の出発ロビー。チェックイン待ちの長い行列ができていた。

 私たちがまず訪れたのは日本最大の空港である羽田空港だ。羽田空港は日本を代表する空港であるだけでなく、世界でも4番目に乗降客数が多く、国内外問わず多くの利用客でにぎわう空港だ。私自身も旅行や出張で年に数回は利用するが、都心からのアクセスが成田空港よりも良く、空港の中もきれいなので出発前からワクワクする場所である。私たちが訪れたのは日曜の10時ころで、混雑とまでは言えないまでも出発客、到着客とも入り混じっていて活気のある空間だった。京浜急行線の改札を出ると国際線到着ロビーと直結している。まず目に留まるのはWi-Fiルーターのレンタルショップだ。自分のスマートフォンのSIMカードを使って国外でインターネットに接続すると高額になるため、出発前にルーターを借りる旅行者が急増して、このようなビジネスが成り立っているが、10年ほど前には存在しなかったのではないだろうか。一つ上の階の出発ロビーへ行くとたくさんの旅行者だけでなく、警備員などの空港関係者と航空会社の社員であふれていた。これだけ多くのスタッフがいれば、複雑な構造の空港内で道に迷っても困らないはずだ。恐らく外国語が堪能な人も数多く配置されているはずなので、日本語が分からない外国人も安心に思うだろう。案内看板も日本語表記の下に英語、中国語、韓国語でも書かれていた。私がこれまで訪れた国のうち、日本語で書かれた掲示はあまり見たことがない。羽田空港は外国人にとって日本の表玄関であり、世界各国の人々が利用するため複数の言語で案内しているのだろう。チェックインカウンターの脇には、各国の就航都市へ飛び立つフライト情報が載った電光掲示板が置かれている。昭和53年(1978年)に新東京国際空港(現在の成田国際空港)が開港して、全ての国際線定期便は羽田から成田へと移ったが、平成22年(2010年)10月に国際線定期便が就航して再国際化の流れとなり、現在は約20カ国の都市と就航している。昭和時代においては国際線といえば成田空港が主流であったが、平成に入ると国内線、国際線とも都心に近い羽田空港が主導権を握り、国内外からたくさんの人々が東京へ来やすくなった。現在も羽田空港の重要性は高まりつつあり、国際線の発着枠を拡大するための整備構想が検討されているため、国内の主要都市や海外のさまざまな国々との結びつきは今後さらに発展していくだろう。出発ロビーの奥に進むとWi-Fiルーターのレンタルショップだけでなく、外貨交換所や海外旅行保険自動発売機、さらにはスーツケース販売店までそろっていて、パスポートと財布さえ持っていれば今すぐにでも海外へ行けてしまう便利さだ。平成末期の今、日本国内で広がりつつあるキャッシュレス決済がさらに浸透すれば財布さえも必要なくなる未来が待っているかもしれない。

 今いる3階から少し上を見上げると、上の階に提灯がずらりと並んでいるのが見えた。興味が湧いて4階へ上がると「和」と「江戸」をテーマにした食事処とお土産屋が並ぶ「江戸小路」があった。どの店舗も江戸時代の街並みを再現していて、まるで300年前にタイムスリップしたかのようだ。小路の一角にある焼き肉屋の入り口にはスーツケースが山積みにされていて、店の中ではアジア系外国人の集団が食事をしている。他の店も日本人客より外国人客の方が多くて目立っていた。もう一つ上がって5階へ行くと、こちらも外国人が喜びそうな「お祭り広場」があった。広場中央にあるやぐらが一番目を引くが、隅にある自動販売機も存在感を放っている。この自動販売機には九谷焼の小物と絵馬が売られている珍しいものだ。すぐ隣の壁にはさまざまな言語で書かれた絵馬が所狭しと掛かっていて圧巻の光景だ。また、この階には展望デッキがあり、飛び立つ飛行機を間近で見ることができる。大人も子供も離着陸する瞬間を飽きずにずっと眺めていた。私たちも少しの間、飛行機が飛び立つ瞬間をのんびりと見つめていた。小さな子供を連れて旅行するのは相当骨が折れるだろうが、空港に来て疑似旅行体験をするだけなら気楽にできるだろう。

海外のどこにいてもインターネットに接続できるようにとWi-Fiルーターを借りる人が多い。

飛行機の発着を案内する電光掲示板の前には旅行者が集まる。一定間隔でさまざまな言語に移り変わっていた。

羽田空港4階は「和」の世界観あふれる飲食店エリア。焼き肉店の前には外国人旅行客の荷物が山積みされている。

展望デッキには小さな子どもから高齢者まで幅広い世代が飛行機の離着陸を楽しそうに見つめている。

 空の乗り物の後は陸の乗り物を見るために東京駅へ移動した。まずは日本が世界に誇る東海道新幹線だ。新幹線は昭和39年(1964年)に東京・新大阪間で開業した高速鉄道で、当時の世界最速である時速200キロで走行した。その後、半世紀を経ても国内の主要交通手段として不動の地位を築いている。格安航空会社(LCC)の出現によって近年は東京・広島間や名古屋・博多間などは飛行機と競合しているが、東京から名古屋、大阪、仙台などへ行くときは依然として新幹線が優勢である。この日も東京駅の新幹線改札前は子連れの家族や女子二人組、老夫婦など多様な集団が縦横無尽に行き交っていた。旅行者だけでなく駅員、「KIOSK」や「NewDays」の店員、駅弁屋へ納入する業者と、空港同様にこちらもたくさんの働く人々が存在している。改札の中へ入り、ホーム階へ上がると名古屋方面に帰る家族でごった返していた。雑踏の中で、新幹線が発車する瞬間に見入って、目を輝かせている子供を数人見つけた。開業して50年以上が経過した今でも新幹線は子供たちに大人気の乗り物だ。駅員が子供たちに新幹線のことを楽しそうに語っている光景にも遭遇した。きっと今日の出来事は、夢中で聞いている子供たちにとって忘れられない思い出になるはずだ。車内の様子も見ておきたくて、ちょうど到着したばかりの列車に乗ってみた。東京駅が終点なので乗客が全員降りた後は、折り返し運転までの間に清掃が行われている。一つの号車に二人の清掃員がペアとなり、座席カバーを外す係とカバーを外した後に座席の汚れを拭き取る係とで分担している。非常に手際が良く、しかも丁寧に座席を拭き取る職人技を見て、しばらく目を奪われた。あっという間に作業を終えた清掃員が新幹線から降りて、乗客がきれいになった車内に乗り込んでいった。ゴミの処分や忘れ物対応など、清掃の他にもやるべき仕事は色々とありそうだが、わずか10分足らずで再び関西方面へ向かうことができるよう完璧に手はずを整える清掃員の存在が強く心に残った。

東京駅内にはお土産売り場が点在している。時期に合わせてハロウィンのお菓子も展開しているようだ。

改札前では旅行客だけでなく駅員や業者などさまざまな人たちが行き交う。

新幹線の運転士に話しかけている子どもの姿。乗り物に対するあこがれや興味は時代を問わないのだろう。

新幹線の到着を待つ清掃員の姿。到着すれば洗練された手つきで座席を整えた。

 新幹線改札の外に出て、今度は八重洲口の高速バスターミナルに行ってみた。茨城県や千葉県の房総半島方面行きのバスが頻繁に発着しているが、中には中国・四国地方行きのバスもあった。東京駅からほど近いところに首都高速都心環状線の呉服橋入口があり、東京駅は鉄道だけでなく高速バスに関しても利便性の優れたターミナルだ。日曜の夕方の呉服橋出入口付近は比較的円滑に車が流れていたが、それでも出入口手前の交差点では交通整理が人の手で行われていた。交通網が高度に発達した平成末期でも交通整理というアナログな方法で車を誘導しているのが不思議である。きっと平日の朝や夕方は信号機だけでは対応できないくらいたくさんの車両が通行し、事故の件数も多いため、人の手による交通整理を行わざるを得ないのだろう。私たちが撮影をしていた数分の間でも数台の大型バスが首都高速を下りてきて、誘導員の案内に従っている姿を捉えたので、それだけ交通量が多い往来であることが分かった。

 東京駅に戻って、高速バスターミナルの脇のタクシー乗り場を最後に注目してみた。東京駅までタクシーでやって来る旅行者はみなスーツケースなどの大きな荷物を持っており、タクシーを降りた後に運転手がトランク内の荷物をお客さんのそばまで運んでいた。誘導員と同様に、平成終盤の現在でも人の手を使ったアナログな方法に頼っている光景を記録することができた。数十年後には自動車の自動運転が主流になっているかもしれないが、混雑緩和のための誘導や手荷物の運搬は今と変わらず人間が行っているかもしれない。

安価で手軽に移動できることなどを理由にバスで旅行する人も多い。行き先ごとに整備されたバス乗り場。

交通整理を行う人の姿が街のいたるところで見られる。

自動販売機に補充する飲料輸送業者の車。

車通りが激しい通りは同時に人通りも多い。

 平成最後の10月である今月は陸と空の乗り物に注目し、日本の輸送が運輸技術の発達と提供サービスの向上という両輪で成り立っていることに気付いた。全国各地へ繋がる交通網の整備や乗り物自体の発達により、昭和時代と比べて飛行機、新幹線、バスともに目的地までの所要時間が短縮し、利便性も高まったに違いない。こうした一方で、平成時代には人が提供するサービスも進歩していると考える。空港や駅で働いている数多の人、乗り物が安全に運行できるように機器の点検や案内の指示を行う人、そして乗客が快適に過ごせるように清掃する人など多様な職種の人々によって日本の輸送システムが成立している。科学技術が極めて発達した現代社会においても人間の手による介添えは必要なのである。いや、むしろ機械化が進んだからこそ、人の目で再度確認することの必要性や人の気持ちに寄り添う心遣いの大切さが求められているのかもしれない。新しい時代になって、さらに高速で運行する乗り物が発明されたり、機械だけで行う自動運転技術が確立されたりしたとしても、その乗り物の保守や乗客への案内などは人間が行い続けることになると予想する。それは機械による運行が安全面において信頼できないというわけではなく、人は案外、人の手によるアナログなサービスも望んでいるからであろう。乗り場へ行けずに迷っている外国人を道案内したり、高齢者が持つ重い荷物を代わりに持ってあげたり、熱心に新幹線を眺めている子供にもっと詳しい話をしてあげたりできるのは人間だけではないだろうか。このような臨機応変の対応は、例え小さなことでも心に残る細やかな気遣いであり、旅をさらに思い出深いものとして昇華するのである。

 観光庁の発表によると、平成30年(2018年)における日本人の国内旅行延べ旅行者数は、天候不順や自然災害の影響で前年を下回ったが、一人一回あたりの旅行単価は増加したそうである。外資系高級ホテルの出現や「TRAIN SUITE 四季島」のように移動自体が旅の目的である周遊列車も誕生している。平成末期の現在は、旅行に対する消費の在り方が二極化していて、LCCや格安の乗り放題切符が根強い人気を誇る一方で、目的地の観光だけでなく快適な移動にも価値を求める観光客も増加しているのかもしれない。そういった移動の時間も楽しむ人々は、観光地で提供されるサービスだけでは満足せず、今回空港や駅で見かけたように移動時にも丁寧な接客を欲しているのだと思う。

 これからの時代においても、乗り物は技術面でさらなる進化を遂げると同時に、人々はサービス面においても乗客のニーズに沿った方法を貪欲に模索していくはずである。結局のところ、人や物の快適な輸送には人間の存在が不可欠なのだと私たちは考える。

タクシーの運転手が乗客の荷物を下ろすのを手伝う姿。人の手はこの時代の交通サービスでも重要なようだ。

一方で電車の乗り降りは切符を買わずともICカードやスマートフォンで改札を通れる時代となった。

 

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