7月から続く猛暑は8月になっても衰えを見せず、東京では連日35度近い気温である。昼間、アスファルトでできた道路やコンクリート製の高層ビルが熱を蓄えてしまうため、夜になっても温度があまり下がらずに寝苦しい熱帯夜が何日も続いた。だが、この酷暑の夜でも一晩中、遊興にふける人々が集結する歓楽街も存在する。それは「眠らない町」新宿である。今月は、このネオン輝く不夜城と、この街で夜通し活動し続ける人々の姿を記録するために、私たちは夜を徹して、お盆前の土曜の新宿を歩き回った。
この日は午後11時に集合して、私たちがまず向かったのは新宿3丁目だ。新宿3丁目の交差点は伊勢丹とマルイが高くそびえて、たくさんの人と車が行き交う華やかな場所だが、路地に入るとこぢんまりとした大衆居酒屋やおしゃれなバルなども立ち並んでいる。居酒屋チェーン店が多い新宿駅東口とは徒歩5分ほどの距離しか離れていないのに、ここ3丁目は随分と落ち着いた雰囲気だからか、私は就職してからはもっぱら3丁目で飲むことが多い。この時間に3丁目にいる人々の多くは飲み会帰りのようで、新宿駅方面に向かっている姿が目立つ。中には土曜出勤の後の一杯を楽しんだスーツ姿の会社員や花火大会が終わって新宿へやって来た浴衣姿のカップルもいた。3丁目から明治通りを北に進み、新宿6丁目の辺りへ向かうとタクシーの渋滞に遭遇した。この付近はラブホテルが林立しているので、飲んだ後にタクシーでやってくるのだろう。そういえば私が学生時代にこの付近の飲食店でアルバイトをしていた頃も、曜日に関係なく夜はいつもタクシーだらけだった。
ホテル街の途中で曲がり、「新宿区役所通り」へ入っていくと午後11時過ぎとは思えないほどの人だかりが突如として現れた。この通りは風俗店の客引きがとても多く、私たちもしきりに声を掛けられた。新宿区では「客引き行為等の防止に関する条例」が平成28年(2016年)に改正されたが、新宿区役所のお膝元であるこの通りでさえ条例が守られていないのは皮肉な話だ。わずか100メートルくらい歩いただけで何人もの客引きたちにしつこく話しかけられ、少々腹正しかったので客引きからの誘いを無視して「記録のために撮影しても良いか」と尋ねたら、怖い顔で「は?写真はダメだ」と言われてしまった。本当はこの通りで活動している人々の姿をもっと撮影したかったが危険を感じたのと、執念深い客引きたちにうんざりしたため、早々と移動して「新宿東宝ビル」の裏手を進んだ。この通りは学生時代に朝までビリヤードをした「アシベ会館」や、大規模な飲み会でよく利用していた「東京都健康プラザ ハイジア」があり、懐かしく感じる。区役所通りのように客引きはほぼおらず、今夜は特に事件もないからか、歌舞伎町交番はのんびりとしていた。交番を通り過ぎてから角を曲がると姿を現す「シネシティ広場」には終電に間に合うよう足早に駅方面へ向かう人々と、夜通し遊ぶことを決めて次に行く場所を話し合っている人々が入り混じっていた。集団の中には、周りの友人たちが帰るのか、留まるのかを互いに様子をうかがっている人もいる。私たちが学生の頃もこの場所で幾度となくこういったやりとりを行っていたが、大抵は朝までカラオケをしていた気がする。広場の人々を撮影していると、ちょうど鉄道各社の終電が発車する午前0時近くになったので、家に帰る人たちと一緒に新宿駅東口へ向かった。
新宿駅東口はJR東日本各路線の終電アナウンスが流れるたびに走って改札を通過する人が後を絶たなかった。もう少し早い時間帯だと改札前にたむろしている集団がいくつも見られるが、さすがにこの時間帯だと悠長に歓談している人々はほとんどいない。東口の地下から丸ノ内線の改札を行ってみるとすでに終電は発車してしまったようで駅員が駅構内のシャッターを次々と閉めていた。地下通路から西口に向かうと、こちらも京王線や小田急線の最終列車に乗り込む人たちが私たちをさっそうと抜かしていった。午前0時35分発の京王線調布行き最終列車はなかなか発車せず、ようやく発車した後、駅員たちは構内に残っている私たちに外へ出るよう促した。そして午前0時52分発の小田急線経堂行き最終列車は、改札を駆け込んだ2人組が乗車した後に数分遅れで発車して、西口の地下にまだ残っているのは私たち以外に数人だけとなった。30代くらいのバックパッカーらしき男性、リクルートスーツを着た20代の女性、年齢不詳のアジア系外国人女性2人組で、みんな柱にもたれかかってぼんやりとたたずんでいる。最後に午前1時1分発の中央・総武線各駅停車三鷹行が出た後は改札周り全体のシャッターが一斉に下りて照明も落とされた。朝まで電車は動かないのにバックパッカーたちはまだ西口の地下をあてどなくさまよっていたのが気がかりだった。終電後のこの場所は本当に静かで、私がよく知る新宿駅ではないかのように錯覚した。周囲を見渡しても閉じたシャッターの隅で寝ている浮浪者しかいなかった。
全ての終電が発車した午前1時10分ころ、西口の地下から今度は南口方面に歩いてみた。普段だと甲州街道には絶え間なく車が往来し、南口の「LUMINE2」の前はソロやバンドグループが路上演奏をしているが、もちろんこの時間に彼らはいない。それでも信号を無視して甲州街道を横切るのは危ない程度に車やトラックが走っている。横断歩道を渡って「バスタ新宿」の中へ初めて入ってみた。3階のバス降り場は暗く閑散としているが、4階のバス乗り場と待合室には30人くらいが午前1時30分発の成田空港行き最終バスを待っていた。ほどなくバスが来てみんなは乗り込んだが、20代前半の女性2人組は待合室の椅子から立とうとしない。中年の係員がバスに乗らないのか尋ねると、名古屋からイベント参加のため東京へやって来た彼女たちは、ビジネスホテルを予約できなかったため涼しくて安全な待合室で夜を越すつもりだったと答えた。だが待合室は午前1時半に閉めてしまうのでインターネットカフェなどに泊まるよう係員が優しく諭すと、彼女らはすごすごと立ち去った。彼女たちがいなくなった後、バス乗り場の片隅などで寝ることは問題ないかと係員に興味本位で尋ねてみると、外なので別に構わないと言っていたが、バスロータリーの隅でも女性だけで野宿をするのはさすがに危険だろう。
バスタ新宿を出て東南口へも向かってみたが、こちらも西口や南口と同様に人はまばらで静かだった。例外は24時間営業である「ドン・キホーテ新宿東南口店」だ。いくら新宿はいえ午前2時近い時刻に遠くからでも目立つくらい照明を明るくし、寒く感じるほどの冷房を効かせている店はそう多くない。店内は中国人らしき若者グループやカップルたちが深夜と思えぬ陽気さで買い物をしていた。つい3年ほど前の学生時代は私も夜にはめっぽう強かったが、規則正しい生活を送るサラリーマンとなった今は徹夜が辛い体となってしまい、疲労を感じさせない彼らの元気さが少しうらやましい。
3時間以上ずっと歩き回っていて、だいぶ足が重くなってきたので1時間ほど歌舞伎町のバーで休憩した。雑居ビルの5階にあるこの店は「歌舞伎町一番街通り」に面していて、通りにせり出すテラスがあるため、客引きをする女性やいかがわしい店から出てきた男性たちを上から観察することができる。午前3時ころでも通行人は頻繁にいるので、上からこっそり眺めているだけでも結構面白い。今までに幾度となく新宿で夜を越したが、終電後の歌舞伎町をこのように俯瞰して観測したことはなく、こんなにもたくさんの人々が一晩中活動しているものかと改めて実感した。
午前3時を過ぎて歌舞伎町から東へ進み「ゴールデン街」へ向かった。ゴールデン街は第二次世界大戦後の闇市を端緒としているため道幅が狭く、店内もカウンターに数人並ぶといっぱいになるほど狭い店ばかりである。狭い路地裏にひしめく飲み屋街が珍しいのか外国人旅行者が何枚も写真を撮っていた。また一番街や区役所通りと異なり、客引きはほとんど見られない。個人経営の店ばかりなので勧誘をしなくても常連たちで経営が成り立つのだろう。客引きがいなくて、明かりも少ないためか、酔客が路上に倒れていたが誰も気にせず通り過ぎている。新宿のような歓楽街の夜にはそれほど珍しい光景ではないが、酔っ払いが路上で眠っていられるほど治安の良さは数十年後の日本社会のおいても維持できるのだろうか。
午前4時32分発の中央・総武線各駅停車東京行きを皮切りに始発が続々と発車する時刻が近付いてきたので、シネシティ広場の横を通り、大ガードをくぐり抜けて再び西口へ向かった。シネシティ広場には10人くらいの男女グループが大騒ぎしてカラオケ店に入ろうとしていたが、泥酔客は入店できないと坊主頭の目付きの鋭い男性に阻まれてもめている最中だった。西口の地上に着くと始発を待っている人々が眠そうに待っている姿が見られた。恐らく西口地下は湿気が多くて暑いため地上にいるのだろう。西口改札はまだ改札内に入っている人がほとんどいないため西口改札から東口改札までを見通すことができた。世界一乗降客数が多い新宿駅で西口改札から東口改札を見ることができるとはまさか思わず、感動してしまった。きっと一日のうち、早朝の限られた時間にしか見ることができない貴重な風景に違いない。始発が動きだし、人々が次々と西口改札を通っていくと、あっという間に東口改札はいつものように見えなくなってしまった。
最後に西口の地上から東口へ向かうことにして東口駅前広場を歩いていると、歌舞伎町方面から一斉に東口を目指して歩く集団に遭遇した。みんな居酒屋やカラオケなど思い思いに一晩を過ごして家へ帰っていく。疲労と暑さでやつれた顔つきで駅へ向かう姿はさながらゾンビのようだが、どの顔も充実した土曜の夜を過ごしたことを物語っているようにも見えた。西口が朝の始まりを感じさせるのと対照的に東口は夜の終わりを表しているようだ。一方で、夜の終わりと同時に東口改札を出て、新しい一日を始める人もいる。こうしてまた一日が始まってゆくこの街は文字通り「眠らない街」である。新宿は単なる巨大な乗り換えターミナル駅ではなく、オフィスも学校も美味しい飲食店も素晴らしい歓楽施設も、いかなるものでも揃っている街だ。しかし、この街にはどんなものでも用意されているが、常に形を変え続けている。私たちが大学に入学した頃は、「新宿ミラノボウル」や閉館後の「新宿コマ劇場」が残っていたが、バスタ新宿や「NEWoMan」は完成していない時代だった。平成末期現在の新宿の姿は今しか見ることができないかけがえのないもので、来年の今頃にはきっと形を変えた別の新宿になってしまうと思い、今月の取材対象に決めた。他方で、風景や建物が変化しても、新宿で夜通し興じる人々はいつに時代になっても消えない気がする。時代を越えて幾多の人々を魅了し、個人的にも忘れ難い思い出が多く詰まっている新宿は、例え街並みが変わっても色褪せずに熱気あふれる街であり続けて欲しいと思う。
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